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村史

第一章 総論

 

 往昔本村は陸奥国津軽郡外ヶ浜郷に属し蓬田氏の領するところである。蓬田氏の居住年代は不明であるが、徳治年間から文明年間に南部から移りきたものである。
 天正十三年、津軽為信が外ヶ浜を平定したとき、油川城主奥瀬氏と共に南部に落ち行き、以来津軽氏の支配地となり、陸奥国津軽郡田舎庄後潟組に属した。
 明治六年大小区制施かれて、一大区四小区に編入され、明治十一年七月郡区町村編成法制定せらるや東津軽郡となり、小区内の各村に分離して村毎に戸長を置いた。
 同十三年四月区町村会法の制定と共に村会を設け、次いで明治二十二年の町村制施行と共に、現在の区域が定められ今日に及んでいる。
 本村は中沢、長科、阿弥陀川、蓬田、郷沢、瀬辺地、広瀬の七大字から成り、南北に長く、東は青森湾に臨み、西は梵珠岳の峻峰連続し北津軽郡と境している。北は蟹田町と大字広瀬の内森山の余脈、滝の沢の峯を以て境とし、南は大堰を以て青森市と区別している。田は六百七十五町歩、畑は百十四町歩あり、主に水稲で米三千七十三トンの産額ある。他は馬れい薯、なたねを産している。
 上磯地方の町村中農村的な立地条件をもつ唯一の村で、村の約四分の一は平野、その大半は水田である。中山山系の袴腰岳、赤倉岳、大倉岳などから発する広瀬川、瀬辺地川、蓬田川、阿弥陀川、長科川等は潅漑用水となり、付近の田地をうるおしている。
 林業は殆んど国有林で、民有林はその一割四分に過ぎない状態であるが、薪炭材は豊富である。漁業はイワシ、ナマコ、ウニ、鱈などの漁獲があり、特に藩制時代には本村に津軽藩のイリコ役がおかれ、湾内のイリコを一手に引うけ、支那向けに輸出していた。
 然るに最近沿岸漁業の衰退甚だしく、漁家の戸数著しく減少し、現在は帆立の養殖に一るの望を嘱し、漁村が農村に変わりつつある現状である。
 一方農家は他村に比し耕作反別多く、且つ副業的に酪農振興に力を入れるなど本村の経済力が高上している。
 交通は津軽線の開通される前は、冬期間外界との交通杜絶の有様であったのが、同鉄道の開通により蓬田駅のほかに中沢、瀬辺地、郷沢に停留所が設けられ、青森市との経済交流は密接となった。津軽鉄道のほかに青森市営バスが運転されているので、今日では交通の不便を感じない。
 教育は寺小屋時代数名の師匠が村童を教育していたが、明治にいたってから義務教育機関として蓬田中学校の外に蓬田北、南小学校、広瀬、高根の四小学校が設けられている。高等教育は青森市とは四里三十四町四間の距離があるが、市内の高等学校に入学、前記の交通機関を利用し勉学にいそしんでいる。
 商工業については見るべきものは殆んどない。ただ付近の山林から伐り出される木材を製材する工場が二ヶ所設けられているに過ぎず、総て青森市経済圏内に包含されている。

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